ミャンマー・ヤンゴンで活躍しているフリージャーナリストの北角裕樹(きたずみ・ゆうき)さん。
2021年2月26日、ミャンマー当局に連行されていましたが、また4月18日に二度目の連行を受けたことが明らかになりました。
北角裕樹さんの安全が心配なところですが、同日中には解放されたとのことです。
クーデターやデモなどが起こり情勢が不安定なミャンマーで活躍している北角裕樹さんはどんな方なのでしょうか?経歴や学歴、プロフィールなど気になることが盛りだくさんです!
そこで今回は「北角裕樹の経歴は元校長!wikiプロフや年齢は?高校大学の学歴も!」と題して、北角裕樹さんの経歴やwikiプロフィール、高校大学の学歴や年齢について調査した内容をまとめました!
今回の目次はこちら!
・北角裕樹の経歴は?元校長からジャーナリスト!
・北角裕樹のwikiプロフィールは?年齢も!
・北角裕樹の高校大学の学歴は?
それでは早速本題にいってみましょう!
北角裕樹の経歴は?元校長からジャーナリスト!
北角裕樹さんは現在、ミャンマーでフリージャーナリストをしていますが、過去には校長をしていたこともある異色の経歴の持ち主です。
そんな北角裕樹さんの経歴をまとめてみました。
1998年頃(23歳) | 伊藤忠商事に入社 |
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2000年頃(25歳) | 日本経済新聞の記者 |
2012年頃(37歳) | 大阪市立巽中学校の校長 |
2016年頃(41歳) | 雑誌編集長、独立 |
2017年(42歳) | 短編コメディ「一杯のモヒンガー」がヤンゴンのワッタン映画祭で上映 |
現在 | ミャンマーでフリージャーナリスト、映像作家、ヤンゴン編集プロダクション代表 |
商社マン→記者→校長→ミャンマーで編集長→フリージャーナリスト・映像作家・編集プロダクション代表
という経歴のようです。
北角裕樹さんは大学卒業後、伊藤忠商事に入社し、約2年働いた後退職しています。働いてみて肌に合わない感覚があったのか、もっとやりたいことが他にあったのかもしれませねん。
その後は日本経済新聞の記者として、約12年間勤務します。こちらのキャリアが長いので、記者が性に合っていたのかもしれませんね!
日本経済新聞の社会部や消費産業部に所属していたようですので、社会問題などの取材をしていたことと考えられます。
そして2012年頃に全国最年少の37歳という若さで、大阪市立巽中学校の校長に就任します。
これは2012年8月に大阪市で市立小中学校校長の公募がされたところ、900名以上の応募があり、その中から合格者11名に選ばれたためだったそうです。
校長の仕事は大変だったようで、「教員や保護者らと人間関係が築けず、【学校運営の能力が足りない】」とされ、更迭案が出され、退職しているようです。
問題となった言動の一部はこのようなものでした。
・1年生に向かって『君たちの授業には1時間当たり千円の税金が使われていることになる。つまらない授業なら千円返してもらうよう先生に言いなさい』と発言。授業中に騒ぐ生徒が出てきたので、職員らが騒動の鎮静にあたる。
・保護者への応対に、校長として不適切な言葉使いや態度で保護者との関係を悪化させる。教頭が校長の謝罪を受けて入れてもらえるよう、家庭訪問して働きかける。
引用元:change.org
記者としての資質は長けていたかもしれませんが、校長としては少し自由奔放な気質があって合わなかったのかもしれませんね。
その後ミャンマーに渡りました。ミャンマーに渡った理由は「歴史的な転換期となった2015年総選挙の前から、現地に移住し取材するため」だったそうです。
ミャンマーから生の情報を世界に届けたいという熱い思いがあって移住されたようです。
ミャンマーのビジネス情報誌「ミャンマージャポン」編集長をつとめた後、2016年にミャンマーで独立しました。
現在はフリージャーナリストとしての活動の他に、編集プロダクションの運営や映像作家として活動しています。
映像作家としては、コメディやドキュメンタリーを撮ったり、俳優としてミャンマーの映画に出ることもあるそうです。また広報アニメの制作もしているようで、幅広い活動をしていることがわかります。
2017年には映像作家として短編コメディ「一杯のモヒンガー」を制作し、ヤンゴンのワッタン映画祭で上映されています。そのトレーラーがこちら。
「モヒンガー」とはミャンマーの定番の朝食だそうですが、なんと「ナマズ」から出汁をとる伝統料理だそうです。
北角裕樹さんはこちらでもミャンマーの食文化も伝えており、現地の文化や人と溶け込んで生活していることがわかります。ミャンマーを心から愛しているようですね。
北角裕樹のwikiプロフィールは?年齢も!
北角裕樹さんのwikiプロフィールはこちらです。また年齢は現在45歳です。
名前 | 北角裕樹(きたずみ・ゆうき) |
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生年月日 | 1975年生まれ |
年齢 | 45歳(2021年4月現在) |
趣味 | ヤンゴンの街を歩き、新しい店を発見する |
好きな小説 | 蒼穹の昴(浅田次郎) |
好きな場所 | 風が吹く荒野 |
一番会ってみたい人 | ミャンマーのテインセイン元大統領 |
生まれ変わったら | 「維新志士」になりたい |
(参考:世界のことなら。)
北角裕樹さんは、FacebookやTwitterなどのSNSはされていないそうです。
顔画像はこちらです。
ミャンマーで邦人連行か フリー記者北角裕樹さん (共同通信)https://t.co/kiZXA1reds pic.twitter.com/TdoAcR4cKL
— LINE NEWS (@news_line_me) April 18, 2021
日本のジャナルリスト北角裕樹さんがまた軍に捕まえられたみたいです!軍や警察50人の部隊で鍵まで壊して不法侵入し、無理矢理連れて行かれました。資料類も持っていかれたそうです! #WhatsHappeningInMyanmar #Apr18Coup pic.twitter.com/pIJefTph8V
— Yu Zuhan (@Yuzuhan10) April 18, 2021
北角裕樹さんは現在45歳と、とてもお若いながら濃い経歴の持ち主です。そのせいあってか、お顔も若々しいです!
北角裕樹の高校大学の学歴は?
北角裕樹さんは、早稲田大学を卒業しています。高校についての情報は見つけることができませんでした。
早稲田大学の学部は明らかにされていませんが、大学時代に旧ユーゴスラビアのコソボ紛争の取材をしたり、海外滞在をしていたことから、「政治経済学部」だった可能性が高いと思われます。
大学時代はアメリカ・韓国・中国に滞在していた経験があり、この経験が後のキャリアに大きくつながっているそうです。
またライター・記者の仕事を始めるようになったのは、大学時代に行った旧ユーゴスラビアのコソボ紛争の取材だったそうです。
大学時代から海外に目を向けて自分の足を運んで情報収集していたことがわかります。
大学卒業後は一旦商社に入社していますが、やはり記者の仕事が向いていたのかもしれません。
そんな北角裕樹さんは2月26日、国軍のクーデターに抗議するデモの取材中に拘束され、4月18日にも2回目の連行をされています。身の危険を冒しながら現地の生の声を取材しようとする心意気が素晴らしいと思います。
今後も安全に活躍されることを願います!
まとめ
今回は「北角裕樹の経歴は元校長!wikiプロフや年齢は?高校大学の学歴も!」と題して、北角裕樹さんの経歴やwikiプロフィール、高校大学の学歴や年齢について調査した内容をまとめましたが、いかがでしたでしょうか。
北角裕樹さんは、商社マン→記者→校長→ミャンマーで編集長→フリージャーナリスト・映像作家・編集プロダクション代表という異色の経歴をお持ちです。
また北角裕樹さんは現在45歳で、とてもお若い印象でした。
北角裕樹さんの出身大学は早稲田大学で、高校についての情報は見つけることができませんでした。
ミャンマーで現地の声を体を張って取材する北角裕樹さん。今後も安全に活動を続けていただきたいと思います。
今回はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました!