発達障害と診断されてショックを受けた人たちへ

psychology

こんにちは、あさのんです。

近年ではADHD(注意欠陥・多動障害)やASD(自閉スペクトラム障害)、LD(学習障害)などの発達障害が増えています。

教育現場を見ていて思うのは「発達障害」という診断を受けるのが怖くて病院にわざと子どもを連れて行かない人もいるし、実際に診断を受けてレッテルを貼られたとショックを受けてしまう人もいるということです。

逆に診断されて原因が明確になり、気持ちが楽になる人もいます。

今回は発達障害や障害という言葉の意味について僕が臨床実習で学んだことをまとめます。

僕には発達障害の子どもがいないので、発達障害の子どもを実際に育てている親の気持ちは分かりません。「お前に何がわかる!」と言われると僕は弱いです。

でも、少しでも僕が学んだことが励ましになったらいいなと思って書きました。ぜひ読んでみてください。

発達障害と診断されてショックを受けた人たちへ

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「障害」という言葉がネガティブなことを連想させます。障害と言われると何か良くないことが起きている、自分には欠陥があると思ってしまいますよね。

英語では障害の考え方がだいぶ日本語とは違います。

英語では障害のことをDisorderという

英語では発達障害のことをDevelopmental Disorderと言います。このDisorderという言葉を日本語に訳すと「障害」となるのですが、日本語の障害とDisorderではイメージがだいぶ違います。

Disorderはdisとorderがくっついた単語になるのですが、disは「離れる」や「外れる」という意味があります。そしてorderは「標準」という意味があります。

つまり、障害とは英語では「標準から外れた人」という意味になるのです。

標準というのは山の形をした偏差値の曲線をイメージしてもらうと分かりやすいのですが、その真ん中の山のとんがった部分が標準に当たります。一番数が多くて平均的、偏差値50周辺の部分です。

Disorderは山のとんがった部分ではなくて、両橋の数の少ない部分(偏差値70や偏差値30)に位置する人のことになります。

なので発達障害は「欠陥がある人」ではありません。標準的な人とはちょっと違うだけ。平均的な人ではないだけなのです。

そもそも標準的な人間ってなに?

標準とは単に人数が多いだけのことです。そしてこの標準は誰かが勝手に決めた基準です。

それに当てはまらない人のことを”Disorder(障害)”としています。

病院では「偏差値50の人ってつまらない。両端にいる人の方が個性があって面白い。」と言って発達障害のお子さんのいるお母さんを励ましている先生がいました。

なるほど、そういう励まし方もあるんだなぁと思いました。

実際に教育現場では標準的な人が集まったクラスの方が運営しやすいのは事実です。人間関係面で問題が起こりにくいし、授業もしやすいです。

でも僕はADHDと診断された子、ASDやLDなど様々な子どもたちを見てきましたが、彼らは人間味があって一緒にいて楽しいです。標準的な子どもと一緒にいるとうまく溶け込めないこともあるのですが、大人の僕から見ると個性があって、ある特定の分野に関しては能力がすごく長けています

その能力を見つけ出すことができれば、社会に出ても十分に活躍ができると本当に思います。

子どもは未熟なので発達障害の子を受け入れることが多くの場合はできません。無理に溶け込ませようとしても難しいのは事実です。ここが難しいところです。

僕はもしかすると横並びが好きな日本の文化がかなり影響しているのではないかとも感じます。

海外ではノーマライゼーションやインクルージョンなどが進んでいて、障害者やマイノリティとされている人たちを積極的に社会・学校が受け入れる体制ができてきています。

僕は障害に対する教育が進み、幸福な人が増えるといいなと願っています。

障害=欠陥人間ではない

これがこの記事で一番伝えたいことです。発達障害をはじめ様々な障害がありますが、障害は欠陥人間ではありません。障害と診断されていない人でも周りとうまくやっていけなかったり、周りと上手く溶け込めない人はたくさんいます。

外国人が阻害されることも多いですよね。でも外国人は人間として欠陥と言われるとそれは違うと思います。同じように障害は欠陥ではありません。数が少ないだけです。マイノリティだから欠陥のような感じがするのです。

マイノリティは欠陥ではありません。僕はマイノリティが受けいられる社会になって欲しいし、そうならなくてはならないとさえ思います。

【最後に】これからは発達障害の子が活躍できる社会になるかも

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これは僕の妄想です。でも、こういう未来になって欲しいなと願っています。

これからは今まで求められてきた「問題を解決する能力」があまり価値を持たない時代になってきます。なぜなら、生活する上で解決したい問題の数がほぼなくなったからです。

学校が教育して量産しようとしている「役に立つ人間」はAIの発展によって徐々に必要なくなってきます。素早く計算ができたり、正確に翻訳ができたり、テストで良い点数が取れること、こういう人はAIに置き換わる時代が想像できます。

問題解決能力が必要のない世界になってきます。逆に必要なのは問題を見つけることができる人。

僕が関わったことのある発達障害の子どもたちは型破りで独創的だったりします。特定のことに熱中し、思ったことを正直に口に出すことができます。好きなことにはとことん熱中します。

こういった特性は問題解決を必要としない社会、好きなことを仕事にできる時代に必要とされてくるかもしれません。

僕の教え子たちをイメージすると、そういう未来があってもおかしくないなぁと思います。