日本社会に潜むカルト的な性質について【組織の一員という感覚】

maltreatment

こんにちは、あさのんです。

先日、魂の虐待(Spiritual Abuse)についての記事を書きました。
今回の記事はその続編みたいなものです。

アメリカだとSpiritual Abuseはカルト宗教が関係してきます。
その本質は個人の自由の否定です。

カルトはマインドコントロールをしてその人の自由と幸福を奪います。
僕は日本社会もカルトの性質があるのではないかと感じています。

カルトと聞くとちょっと過激な内容に思えますし、この記事を否定したくなるかもしれません。

本質がわかってもらえると嬉しいです。

日本社会に潜むカルト的な性質について

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僕は日本に住んでいると言論の自由、表現の自由がないと感じることが多いです。
もっと言いたいことを自由に言えていれば、自由を感じることができると思います。

もっと文句を言っていいと思います。
しかし我慢が美徳とされている文化ではなかなか言えません。

言いたいことを言えない、もしくは言わせないのはカルト宗教と似ています。

カルトの特徴とマインドコントロール

カルトは個人の自由を否定し、人権侵害します。
カルトには以下のような特徴があります。

カルトの特徴

  • 個人の自由が制限され、自主性が失われる
  • 同調圧力が強い
  • 個人よりも集団に価値を置いている(集団主義的)
  • リーダーや組織に絶対服従
  • マインドコントロール
  • 使命のために生きる(使命は家族より大切)

自由な生活ができず、私生活がめちゃくちゃになります。
外部からの情報を遮断してリーダーの思想がその人の心を支配します。

ちなみにマインドコントロールは以下のようにやります。

マインドコントロールのやり方

  • 思ったことを言わせない、自由な発言を許さない
  • 作業を多くして考える時間を与えない
  • 情報を遮断する
  • 恐怖を与える

カルトの特徴やマインドコントロールのやり方はググればたくさん出てきます。
ここでは詳しくは書きませんので、興味のある人は調べてみてください。

カルトと日本社会に共通する部分

カルトやマインドコントロールの特徴を見ていると日本社会に共通する部分が見えてきます。

例えば個人の自由の否定です。

個人が自由に何かをしようとすると「勝手なことをするな」、「迷惑をかけるな」という言葉で止めようとします。また、同調圧力が強いので周りに合わせないといけないですよね。

集団主義的なところもあります。

世間に認められた枠の範囲内での行動・言動しか認められません。
その枠の範囲を越えると叩かれます。

SNSは良い例です。

発信した内容が世間から見て不適切だと徹底的に叩かれますよね。
テレビでも有名人が不祥事を起こすと徹底的に叩かれます。
逆に良いことをしていたり、目立つ人にも一定数のアンチがいます。
みんな足並みが同じでないといけない感覚。
個人の幸福は祝福できません。みんなが幸福ならいいのですが。

情報の遮断もありますね。

今はネットニュースやYoutubeで情報が増えてきていますが、テレビや新聞だけを見ていると情報が制限されています。この状況はマインドコントロールを生みます。

マインドコントロールを解くためにはいろんな情報を得て自分で考える必要があるのですが、どのテレビ番組も同じ情報しか流していません。自分で考えて判断する材料をメディアは流していないと思います。

「個人」ではなく「組織の一員」という感覚

カルトは集団主義的です。

カルト組織のメンバーは個人として独立しておらず、組織の一員という感覚があります。組織の一員なので勝手なことはできません。周りの人はあなたを見ています。そして組織としてみんな同じように生きます。

個人として独立していないというのがポイントです。

日本社会の場合は世間体が組織に当たります。そして家族も、家族の中の人もみんな世間体という組織の一員になっています。

世間が設定した枠の中であれば行動が許されます。そして、枠から外れるとそれは家族内でも社会でも悪いことになります。

わかりにくいので一つ例をあげます。

例えば仕事を断れない人、NOと言えない人です。

NOを言えないのはNOと主張することが悪いことだと思っているからではないでしょうか。NOと言うことに恐怖がありませんか?人に迷惑をかける、人を不快にする、そういった感覚が言いたいことを言えなくさせます。

でも実際はNOと言ったっていいはずです。
恐怖があるのは社会にカルトの性質があるからだと思います。

仕事を頼まれてNOと言えなかったらどうなるのでしょう?

攻撃される。
報復を受ける。
断ったらこういう感覚になりませんか?

日本には村八分という言葉があります。裏切り者は村八分にされる。そして非国民と言われます。迷惑をかける、勝手なことをすることに対する恐怖で自由な行動ができない人は多いはずです。

僕の海外経験からですが、アメリカ人なら恐れずに仕事を断ると思います。嫌だったら簡単にNOって言います。この違いは組織の一員という感覚があるかないか、個人として独立しているかしていないかによると思います。

ひきこもりはひきこもるしかない

組織の一員という感覚は厄介です。
ひきこもりが日本社会を表していると思います。

ひきこもりは部屋に閉じこもって出てきません。海外にもひきこもりの症例はありますが、日本と比較すると圧倒的に少ないです。

それはなぜでしょうか?

アメリカは個人が独立しているので、学校や家庭で関係性が作れなかったら外に求めます。繋がれる人が外にいるという感覚があるのだと思います。

身近な人が自分に合わなくても、きっと外には自分を受け入れてくれる人がいると思えるのです。それは個人が独立していて、個人が自分でいられる社会だからです。

一方、日本人は学校と家庭で関係性を作れなかったらひきこもるしかありません。みんな共同体・組織の一員で個人として独立していないからです。
外に出て関係を求めたとしても、繋がれるという感覚がそもそもないのです。

家族を含め国民がみんなカルトだったら、カルトから抜け出した人を受け入れる人はいないですよね。

ひきこもりはそういう感覚なのではないかと思います。ひきこもりはひきこもることで自由を選択しているのです。

【最後に】恐怖のあるところに自由意志はない

fear
ある心理学者が言っていた言葉です。
「恐怖のあるところに自由意志はない」
これはカルトにも共通することです。

自由意志がないと思考停止します。なるべく考えないようにして自分を殺して周りに合わせます。これは村八分にされないため、非国民扱いされないため、生きるためにやっています。

しかしこれをずっと続けていくと自分が消えてしまいます

僕が今回伝えたかったのは個人の自由の否定が日本社会にあって、それはカルトの性質と似ているということです。

ちょっと言い過ぎかもしれませんが、僕は日本はカルト国家だとさえ思います。

しかし、このことに気づいていない人は多いと思います。本当はもっと自由な世界があるはずです。ネットが普及して海外の情報が入り、少しずつ変化しているようにも見えます。

自分が自分でいられないのはとても辛いことです。

生きづらさの原因や理由の本質を少しでも理解してもらえたら嬉しいです。
今回はこれくらいにします。