人の幸せを喜べない理由【自分を責めないでいい】

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人の幸せを喜べない人「周りの人が幸せなのが喜べない。例えば知り合いの結婚式に行くのが苦痛だったり、何かの祝いをしに行くのも苦痛。行っても心がしんどくて、人の幸せを素直に喜べない自分も好きじゃない。これってどうなのかな?」

この感情は過去の僕にあったものです。もしかしたらこういう風に感じている人もいるのではないかと思って記事にすることにしました。

この記事の内容

  • 自分が幸せでないと人の幸せを喜べない
  • 実は日本の文化は個人の幸せを喜べない構造になっている
  • 正直な自分の気持ちを理解し、受け止めてあげよう

解説しますね。

人の幸せを喜べない理由

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人の幸せを喜べないのは辛いことだと思います。喜んでいるふりをして・・・でも本心は喜べなくて辛い。僕はこの感情で苦しみました。疲れますよね。

自分が幸せでないと人の幸せを喜べない

これが本質だと思います。自分が幸せじゃないんです。

自分が結婚して幸せな家庭を築くことができていたら、人の結婚を喜べると思います。でも、もし自分が結婚したくてもできなくて、周りがどんどん結婚していくような状況なら人の幸せを心から祝うのは難しいですよね・・・。

自分が溺れている状態のときは自分が助けられる必要があります。溺れているときに人を助けることはできません。

単純ですが、同じように自分が幸せと感じていないときに人の幸せを喜ぶことはできないです。まずは自分が幸せになる必要があります。

僕も人の幸せを喜べない人間でした

一番辛かったのは休職していたときです。

うつ病や対人恐怖を患っていて、毎週精神科医とカウンセラーからの治療を受けている状態のときは幸せを実感することなんてできませんでした。

こういう状態のときは特に人のことを祝ったり、人の幸せを願うことはできませんでした。結婚式は参加するのがしんどくて、辛かったと感じたこともあります。

なんで僕だけこんな目に合わないといけないんだって思ったし、周りの人が羨ましくて辛かったです。

仮にうつ病でなかったとしても、自分の人生に満足できていなかったので人のために喜ぶことはできなかったと思います。病気がそういう気持ちを大きくさせているのは事実ですが、根っこには自分の幸せを思えない感情があったと今は思います。

人のために喜べないなんて最低だと自分を責めたこともありました。今思うとこれって悪循環ですよね・・・。幸せでない状態なのにこのように思うことでもっと不幸せになっていきます。

実は日本の文化は個人の幸せを喜べない構造になっている

この問題を解決するためには人の幸せを喜べない感情があることを認めることです。そして「どうして喜べないんだろう?」と自分に問うことです。

幸せを感じられないのは個人の問題がありますが、僕は社会や文化にも問題はあると思います。僕は「個人の幸せを大切にする社会」になれば、みんな幸せになれると思います。

しかし、日本は「みんなの幸せを大切にする社会」です

「みんなの幸せを大切にする社会」は聞こえは良いですが、みんなの幸せを大切にするためには自己犠牲が伴います。みんなが幸せならいいけど、個人が幸せだと許せません。みんなが同じレベルで幸せであること、横並びであることが求められる文化的背景があるように感じます。

日本にある伝統や文化は集団のために、使命のために個人の自由を否定するところがあります。みんな同じであることに安心し、そこから外れると足を引っ張ります。

足を引っ張る理由は自分が自由でないからです。みんなが苦しい中で特定の人だけが幸せだとその人を叩きます。自由は出る杭になって打たれます。自由はわがままだからです。

本当はみんな自由になって個人の幸福を追求する社会になればいいのになぁ。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、個人の幸せを大切にする社会になればみんな幸せになると僕は思います。

【最後に】正直な自分の気持ちを理解し、受け止めてあげよう

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人の幸せを喜べない自分を責めないでください。むしろ、今までよくその感情と戦ってきたね。無理して喜ばなくていいんだよって励ましてあげてください。

本当によく戦ってきましたね・・・。

大事なのは「僕は人の幸福を祝福できる状態でないんだ」と認めることです。そしてその感情をちゃんと感じてあげて大切にすることです。

一生懸命その感情を否定して、人のために喜ぼうと思ってもなかなか解決しない問題です。自分を否定して感情マヒを進めると自分の幸せから遠ざかると思います。人のことよりも、まずは自分です。

根っこには小さい頃に存在を認めてもらいたかった自分、自由を認めてもらいたかった自分、愛されたかった自分がいると思います。

あなたの中にある感情が認めらて愛されたとき、本当の意味で心から人の幸せを祝福できるようになります。