東京五輪の森喜朗会長(83)が辞意を決めたことを受けて、後任として川淵三郎氏(84)が就任の意向を明らかにしたことが報道されました。
(2/12追記:川淵氏の会長就任は白紙になったことが報道されました)
森喜朗氏より1歳年上の川淵三郎氏ですが、どんな方なのか経歴や学歴、どのぐらいの年収をもらっているのか気になりますね。
また顔画像についても、若い頃はどんな方だったのかも気になります。
そこで今回は「川淵三郎の年収や経歴・学歴は?若い頃の画像がイケメン!」と題し、
- 川淵三郎氏の年収
- 川淵三郎氏の経歴・学歴
- 川淵三郎氏の若い頃の画像
をまとめました!
早速本題にいってみましょう!
川淵三郎の年収は?
川淵三郎氏の年収は、公表されていないため不明となります。
ですので当記事では川淵三郎氏の年収を予想してみました。
結論から言うと、5000万円~6000万円ほどではないかと予想します。
その理由として、まず日本サッカー協会の会長をされていた際、年収は推定3000万円だったことが言われています。
現在は、同協会の相談役に加えて、一般社団法人大学スポーツ協会顧問や、数々のスポーツの会長を務めています。
そのため、あくまでも予想とはなりますが、日本サッカー協会の会長当時よりも年収が多くなっているのではないかと予想しました。
東京五輪では選手村の村長として、またさらにスポーツ界のさまざまな会長として年収もさらに高くなるのではないかとも考えられます。
今後の川淵氏も活躍にも注目していきたいですね。
川淵三郎の経歴は?
川淵三郎氏の経歴は次の通りです。
経歴は書き切れないほど多くありましたので、代表的なものを抜粋しました。
1958年 | 日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝 |
---|---|
1959年 | ローマ五輪アジア予選出場 |
1960年 | 第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。 |
1961年 | 早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。 横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。 |
1962年 | インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。 |
1964年 | 日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げた。 |
1970年 | 現役引退(日本代表通算68試合、18得点) |
1972年 | 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任) |
1976年 | 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任) 伸銅事業部第1販売部課長 |
1980年 | 日本代表監督代行就任(1981年退任) |
1982年 | 古河電気工業・名古屋支店金属営業部長 |
1988年 | 日本サッカー協会理事就任 |
1991年 | Jリーグ設立、初代チェアマン就任(2002年退任) 古河電気工業退社 |
1994年 | 日本サッカー協会副会長就任 |
2002年 | 日本サッカー協会会長に就任(2008年名誉会長→2012年最高顧問→2018年相談役) |
2015年 | 日本バスケットボール協会会長に就任 日本トップリーグ連携機構会長に就任 |
2019年 | 一般社団法人大学スポーツ協会顧問に就任 東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任 |
(参考:Wikipedia)
大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー選手として活躍しました。
古河電気工業のサッカー部は、ジェフユナイテッド市原・千葉の前身となったクラブです。
現役時代は、日本代表通算68試合、18得点という輝かしい成績を残しており、34歳の時に現役を引退しています。
引退後は代表監督やJリーグ初代チェアマン、第10代日本サッカー協会(JFA)会長など数々の役をこなしています。
また日本サッカー殿堂入りを果たし、2009年秋の叙勲で旭日重光章を受章するなど、サッカー界に非常に大きな貢献をされてきました。
サッカーだけでなく、バスケットボール界の組織改革などにも携わり、日本のスポーツ界全体にも大きな功績を果たして来られました。
またさまざまなスポーツのトップリーグや、協会の改革に取り組む活動など、本当に多くの役職を経験されてきています。
実業界では、古河グループの古河産業の取締役を務めたそうです。
素晴らしい経歴の持ち主ですね!
川淵三郎の学歴は?
川淵三郎氏の学歴は次の通りです。
小学校 | 大阪府高石町立高石国民学校 |
---|---|
中学校 | 大阪府高石町立高石中学校入学(野球部に所属) |
高校 | 大阪府立三国丘高等学校(サッカー部に入部) |
大学 | 早稲田大学第二商学部商学科(早稲田大学ア式蹴球部でプレー) |
川淵三郎氏は「大阪府高石町立高石国民学校」を卒業し、1949年に大阪府高石町立高石中学校へ入学します。
小・中学生時代は演劇に打ち込み、中学時代は放課後に放送劇に出演していたそうです。その傍ら、誘われる形で野球部に所属していたそうです。
そして1952年、大阪府立三国丘高等学校入学します。
高校入学後友人に誘われてサッカー部に入部したそうですが、当時は退部も考えたこともあったようで、「サッカーなら、試合遠征で色んな場所に行ける」と口説かれて残ったそうです。
そんな軽い気持ちで始めたサッカーも、元々運動神経がよかった川淵三郎氏は頭角を現すようになったようです。
そして2浪後に進学した早稲田大学第二商学部商学科では、早稲田大学ア式蹴球部でプレーし、関東大学リーグ優勝するなどの成績を残し、日本代表として東南アジア方面に同行するなど活躍を見せました。
友人の誘いから始めたサッカーとの出会いが、その後の人生を大きく変えたようですね。
川淵三郎の若い頃の画像は?
川淵三郎氏の若い頃の画像をご紹介します。
まず現在の画像はこちらです。現在なんと84歳です。84歳にはとても見えないほどお若く艶やかですよね!
森さん、辞任で、次の方、
80代かぁ。もう少しだけ、若い方の方が良いのではないだろうかぁ。年齢ではないけど、体が心配です。
84才。体に気を付けて、頑張ってください😌
川淵三郎さん! pic.twitter.com/4FXGdnvYW9— yuki* (@chu2yuki) February 11, 2021
そして若い頃の画像はこちらです!!

(引用元:Wikipedia)
1964年の写真なので、28歳の頃の写真となります。
凛々しくスポーツマンらしい、渋め爽やかな青年ですね!
サッカー選手時代はかなりもてたのではないでしょうか!
まとめ
今回は「川淵三郎の年収や経歴・学歴は?若い頃の画像がイケメン!」と題して、川淵三郎氏の年収や経歴・学歴について、若い頃の画像もあわせてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか!
川淵三郎氏の年収は明らかにはされていませんが、5000~6000万円程度ではないかと予想しました。
また川淵三郎氏は元サッカー選手で、経歴としては現役を引退するまでに日本代表通算68試合、18得点という輝かしい成績を残し、その後は代表監督やJリーグ初代チェアマン、第10代日本サッカー協会(JFA)会長など数々の役を経験されています。
川淵三郎氏の学歴は、「大阪府高石町立高石国民学校」「大阪府高石町立高石中学校」「大阪府立三国丘高等学校」「早稲田大学第二商学部商学科」です。
また現在84歳で大変お若く見えますが、若い頃の画像はとても凛々しく精悍なスポーツ青年といった印象でイケメンでした!
今回はここまでとさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました!